ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「小松帯刀・戊辰戦争を招いてしまった薩摩藩家老の悔恨」

明治維新に尽力した「維新の十傑」の一人に数えられる薩摩藩家老・小松帯刀の敗北を紐解く!平和的な政権交代を望みながら、苛烈な内戦を招いてしまった理由とは?

11月9日 月曜 20:00 -20:58 BS11イレブン

幕末の動乱期に西郷隆盛や大久保利通を指揮した薩摩藩家老・小松帯刀の敗北から現代に通じる教訓を探る! 1835年、薩摩藩士・肝付兼善の子として生まれた小松は21歳の時に薩摩藩主・島津斉彬に見出され、江戸詰となるが、斉彬の腹心・小松清猷が急死したため、小松家の養子となり、家督を継承。1858年に斉彬が他界し、島津久光が藩の実権を握ると、小松は藩政改革に取り組む一方、激動する中央政局にも対応する。
1864年、幕府軍の一員として、禁門の変を起こした長州勢を駆逐した小松はその後、弱体化が進む幕府を見限り、土佐藩士・後藤象二郎に提案された大政奉還を支持、十五代将軍・徳川慶喜がこれを受け入れたため、小松が望む平和的な政権交代が実現するかと思われた。しかし、その後、小松の療養中に王政復古の大号令が発せられ、新政府軍と旧幕府軍の激戦が始まってしまう。 小松はなぜ、内戦を止められなかったのか?
戊辰戦争の激戦が続く中、小松は新政府の外国事務掛、総裁局顧問などの要職を任され、幕府の借金の整理に奔走。さらに、率先して自らの領地と家格を藩に返上し、版籍奉還の先鞭をつけた。小松は持病と闘いながら、必死に政務に取り組んでいたが、1870年、36歳でこの世を去った。「幻の宰相」とも呼ばれた小松の魅力と功績とは? 小松の敗北から学ぶ教訓は…「組織としての方針をしっかり確立し、部下に徹底すべし」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。