ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓「蒲生氏郷・二人の天下人に引き立てられた大大名の苦渋と末路」
天下人・織田信長と豊臣秀吉に引き立てられ、東北きっての大大名となった蒲生氏郷の敗北を紐解く!氏郷はなぜ、伊達政宗が企てた謀反計画を暴くことができなかったのか?
9月5日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
一代で奥羽の大大名に上り詰めた蒲生氏郷の敗北から明日を生きるための教訓を探る!
1556年、六角氏に仕える蒲生賢秀の子として近江に生まれた氏郷は1568年、六角氏が織田信長に滅ぼされると、織田家臣となり、数々の戦いに参加。1582年に本能寺の変が起こると、明智光秀の誘いを断り、信長の妻子を守り抜く。その後、羽柴秀吉に味方した氏郷は小牧・長久手の戦いの戦功により、伊勢松ヶ島12万石の大名となった!
1590年、小田原攻めに参加した氏郷は徳川家康と伊達政宗の抑えとして、会津を含む南奥州42万石を任されるが、その直後、秀吉に領地を没収された勢力による葛西・大崎一揆が勃発。氏郷は政宗と共に一揆の鎮圧に乗り出すが、不審な行動を重ねる政宗を強く警戒し、政宗が謀反を扇動したという証拠を秀吉に提出する。ところが、秀吉は政宗を無罪と認定した。
氏郷はなぜ、政宗の謀反計画を暴くことができなかったのか?
その後、九戸政実の乱での戦功により、奥羽92万石の大大名となった氏郷は会津に壮大な城を建設。1592年、秀吉が大陸への進出を目指すと、氏郷は肥前の名護屋城に参陣するが、病に襲われ、1595年、40歳で生涯を閉じた。13歳の嫡男・秀行が跡を継ぐが、その後、お家騒動が勃発。蒲生家は宇都宮18万石に減封されてしまった。
氏郷の敗北から学ぶ教訓は…「自らの立場からでなく、上の立場から物事を考えよ」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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