ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「シリーズ合戦 賤ヶ岳の戦い・秀吉に屈した柴田勝家の過ち」

織田信長亡き後の織田政権の主導権争い、賤ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家の敗北を紐解く!鉄の結束を目指しながら、なぜ瓦解してしまったのか?

6月13日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に屈した柴田勝家の敗北から明日を生きるための教訓を探る! 1582年、本能寺の変が起きると、秀吉は謀反人・明智光秀を滅ぼし、織田家の後継者と領地配分を決める清洲会議で主導権を握る。一方、織田家の筆頭家老である勝家は信長の三男・美濃の織田信孝、伊勢の滝川一益と手を結び、秀吉包囲網の形成を図る。すると、秀吉は柴田方の重要拠点である近江の長浜城を落とし、美濃と伊勢への侵攻を目論む!
これを受け、勝家が出陣、賤ヶ岳の戦いが勃発する!余呉湖の周囲にいくつもの砦を築き、両軍の睨み合いが続く中、秀吉は岐阜城を攻めるべく、弟・羽柴秀長に指揮を託し、戦場を離脱。すると、柴田軍の先鋒・佐久間盛政が羽柴方の砦を奇襲、さらなる攻勢に出ようとした。ところが、これを知った秀吉が驚異的な速さで賤ヶ岳に戻り、猛反撃!勝家は越前への敗走を余儀なくされた。 百戦錬磨の名将・勝家はなぜ、大惨敗を喫したのか?
秀吉に屈した勝家は敵軍に自らの亡き骸を奪われないよう、火薬を使用した壮絶な自刃を遂げる。再起を図るべく潜伏していたところを羽柴軍に捕らえられた盛政は秀吉に提示された「九州一国の大名にする」という破格の条件を断り、潔く死を選択した。盛政の菩提寺は大分県竹田市に建っている。そして、佐久間の名と血筋はこの地に脈々と受け継がれていく! 勝家の敗北から学ぶ教訓は…「自分以外の何者も信用しないこと」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。