ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓「龍造寺隆信・暴君と見なされた“肥前の熊”の実像と過ち」
「肥前の熊」の異名をとる戦国大名・龍造寺隆信の敗北を紐解く!一国衆から大名へと駆け上がり、北九州を席巻しながら、合戦中にまさかの討死を遂げてしまった理由とは?
5月23日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
島津氏、大友氏と共に「九州三強」の一角に数えられた龍造寺隆信の敗北から現代に通じる教訓を探る!
1529年、龍造寺周家の長男として肥前に生まれた隆信は当初、僧侶の道を歩んでいた。ところが、17歳の時に祖父と父が主君の少弐冬尚に誅殺されるという大事件が発生。翌年、曾祖父・家兼が亡くなったことで還俗し、家督を継ぐと、31歳の時に少弐氏を滅ぼし、51歳にして肥前一国をほぼ支配する戦国大名となった!
その後、隆信は筑前、筑後、肥後など周辺諸国に侵攻し、勢力の拡大を図る。しかし、そんな中、肥前の島原を拠点とし、龍造寺氏に従属していた有馬晴信が離反!これに薩摩の島津氏やイエズス会が加勢し、隆信に対抗する姿勢を見せた。隆信は自ら大軍を率い、島津・有馬連合軍との決戦に臨む!ところが、兵力で圧倒的に優位だったにもかかわらず、隆信は戦場で討死を遂げてしまった!
隆信は一体、どんな過ちを犯したのか?
隆信を討ち取った島津方の武将の子孫により大切に守られてきた隆信の脇差が佐賀県立博物館に収められている。島津氏は敵対した隆信を代々称え続けていたことが窺える。乱世を静めるべく、九州北部を席巻した隆信はイエズス会に敵視され、「暴君」と記されたことで、そのイメージが今日まで広く浸透してしまった。様々な史料から浮かび上がる隆信の実像とは?
隆信の敗北から学ぶ教訓は…「力に頼り過ぎないことが大切」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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