ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「大友宗麟・九州の覇権争いに敗れたキリシタン大名の失敗」

最盛期、九州の大半を支配下に置いたキリシタン大名・大友宗麟の敗北を紐解く!九州の覇王として国内外にその名を轟かせながら、薩摩の島津氏に屈してしまった理由とは?

5月16日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

九州の覇権争いに敗れた戦国大名・大友宗麟の敗北から明日を生きるための教訓を探る! 1530年、名門・大友氏の嫡男として豊後国に生まれた宗麟は父・大友義鑑が暗殺された後、家督を継承。キリスト教の布教を許可し、南蛮貿易により莫大な富を手にすると、本拠地・府内を日本有数の国際貿易都市へと発展させた。さらに、巧みな外交戦略を展開し、九州六カ国の守護、九州探題に任じられるなど、覇王への道を突き進む!
1569年、宗麟は宿敵・毛利氏を九州から追放するが、新たな敵が立ちはだかる。大友氏と並ぶ名門で、400年にわたって不戦協定を結んでいた薩摩の島津氏である。1578年、キリスト教に入信した宗麟は日向に侵攻し、島津軍との戦いに挑むが、大惨敗を喫してしまう。以来、国人衆たちが次々と離反、1586年、九州統一を目指す島津軍に屈し、豊後への侵入を許してしまった。 宗麟はなぜ、九州の覇権争いに敗れたのか?
1587年、宗麟は58歳で波瀾万丈の生涯を閉じた。宗麟の跡を継いだ嫡男・大友義統には天下人・豊臣秀吉から豊後一国が与えられた。ところが、義統が文禄の役で敵前逃亡したことを理由に改易され、大友家は滅亡、400年にわたる名門の歴史に終止符が打たれた。 苛烈な時代を生き抜いた宗麟が現代を生きる私たちに投げかけるメッセージとは? 宗麟の敗北から学ぶ教訓は…「組織には常にアップデートが必要」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。