ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓「秀吉激怒!佐々成政・切腹を命じられた国持大名の過ち」
天下人・織田信長と豊臣秀吉に仕えた猛将・佐々成政の敗北を紐解く!越中、そして、肥後一国の国持大名となりながら、秀吉により切腹を命じられてしまった理由とは?
5月2日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
越中、さらには肥後一国の大名となりながら、秀吉に切腹を命じられた佐々成政の敗北から明日を生きるための教訓を探る!
1536年、尾張国に生まれたと言われる成政は15歳の時、2歳上の信長に仕えると、早くから鉄砲の技術を学び、長篠・設楽原の戦いで武田軍を撃破!1581年、46歳で越中一国の大名となった。信長亡き後の賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いでは1歳下の秀吉と敵対するが、力及ばず、秀吉に臣従した。
1587年、成政は500の兵を率い、秀吉の九州攻めに従軍。その武功が認められ、島津氏を屈服させた秀吉により肥後一国を与えられた。成政は直ちに検地を行おうとしたが、国衆らが猛反発し、一揆を起こす。成政は自力での制圧を試みたが、なんと、一揆が国中に広がってしまった!事態を重く見た秀吉は大軍を派遣し、一揆を鎮圧。成政は秀吉に切腹を命じられ、53歳で生涯を閉じた。
戦上手の成政は一体、何を誤ったのか?
その後、秀吉は肥後を南北に分け、小西行長と加藤清正に統治を命じた。1592年、秀吉は彼らを朝鮮半島に派遣し、大陸への進出を試みるが、苦戦が続くと、猛将・成政の死を惜しんだと伝わる。
成政が領主を務めた越中、現在の富山県には急流・常願寺川の氾濫を防ぐために成政が築いたと言われる佐々堤が残され、成政は今も名君として慕われている。
成政の敗北から学ぶ教訓は…「新天地での張り切り過ぎには要注意」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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