ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「佐久間信盛・信長の逆鱗に触れた筆頭家老の言動と過ち」

織田信長の天下布武を支えた重臣・佐久間信盛の敗北を紐解く!実に30年以上にわたり、織田家の勢力拡大に尽力したにもかかわらず、突如、追放を余儀なくされた真相とは?

4月11日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

織田家の筆頭家老を務めた佐久間信盛の敗北から現代に通じる教訓を探る! 1528年、佐久間信晴の子として尾張国に生まれた信盛は若くして織田信秀に仕え、信秀の死後、織田家の家督争いで信長の勝利に貢献!桶狭間の戦いで善照寺砦を守り、信長の躍進を支えた信盛は、信長の長女・徳姫と徳川家康の長男・信康の婚姻をまとめ、上洛戦の際には大和の国衆を味方に付けるなど優れた交渉手腕を発揮し、信長の絶大な信頼を獲得した!
1573年、朝倉義景との合戦中、織田家筆頭家老の信盛は信長に叱責された織田家臣団をかばうが、なんと、これが禍根を残してしまう!その後、信盛は信長の命を受け、顕如率いる本願寺を包囲。1580年、長きにわたる本願寺との戦いに終止符を打つが、その直後、信長から19ヵ条もの項目を並べ、強烈に非難される折檻状を突き付けられ、事実上の織田家からの追放を言い渡されてしまった! 信盛は一体、何を誤ったのか?
53歳にして信長の逆鱗に触れた信盛は嫡男・信栄と共に織田家を去り、高野山へと入った。そして翌年、湯治のために訪れた十津川温泉で亡くなったと伝えられている。 それにしても、信長はなぜ、筆頭家老の信盛をあれほど強く叱責したのか?そして、信長の非情とも言える決断が後に信長自身に災いをもたらした可能性もあるという!一体、どういうことなのか? 信盛の敗北から学ぶ教訓は…「何事にも緊張感を持って臨め」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。