偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第130回「森可成・若き信長を支えた猛将の最期」

織田信長の初期の重臣で森長可や森蘭丸の父としても知られる名将・森可成の敗北を紐解く。大軍を擁する浅井・朝倉連合軍を相手に寡兵で挑み、討死してしまった理由とは?

3月7日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

十文字槍の名手で「攻めの三左」の異名をとった織田家臣・森可成の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1523年、尾張と美濃の国境付近を治める土豪の家に生まれた可成は斎藤道三が美濃の守護大名・土岐氏を下し、台頭すると、11歳下の織田信長に仕え、尾張平定戦や桶狭間の戦いなどで活躍。1567年、斎藤龍興との稲葉山城の戦いでは前線の指揮を執り、信長の美濃平定に力を尽くした。
1568年、信長が足利義昭を奉じて上洛すると、可成は柴田勝家らと共に京都・畿内の行政官として力を発揮する。1570年、越前の朝倉義景との戦いで嫡男を亡くした可成は姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を相手に奮戦、敵が3万の大軍で京都を目指し、攻め寄せると、可成はわずか1000の兵で宇佐山城を出て迎え撃つが、壮絶な戦死を遂げてしまう。可成はなぜ、圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、大軍に立ち向かったのか?
可成の三男・森蘭丸は13歳で信長の小姓として仕えると、信長から手厚い処遇を受けるが、本能寺の変で信長と共に討死してしまう。可成から美濃の金山城を継承した次男・森長可は小牧・長久手の戦いで討死。可成の息子で最後まで生き残った森忠政は関ヶ原の戦いで東軍に付き、江戸時代を通じ、各地の藩主として政務を執る森家の礎を築いた。今日に続く森家の子孫が語る、先祖に対する思いとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。