偉人・敗北からの教訓 第120 回
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第120 回「榎本武揚・旧幕府軍リーダーの最後の戦い」
戊辰戦争で最後まで新政府軍と戦い続けた旧幕府軍のリーダー・榎本武揚の敗北を紐解く。軍艦を率い、五稜郭を拠点に必死の抵抗を試みるも、降伏を余儀なくされた理由とは?
12月27日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
旧幕府軍最後のリーダーとして戊辰戦争に挑んだ榎本武揚の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1836年、幕臣・榎本武規の次男として江戸に生まれた武揚はジョン万次郎の私塾で英語を学び、世界情勢をはじめ、幅広い分野に関心を寄せる。27歳の時、幕府初の留学生としてオランダに渡ると、海軍術を学んで、1867年に帰国した。ところが、待っていたのは、十五代将軍・徳川慶喜による大政奉還であった。
旧幕府軍と新政府軍の戦いが勃発すると、武揚は軍艦・開陽丸の艦長となり、幕府艦隊を指揮するが、慶喜が大坂から江戸に逃亡したことを知り、愕然とする。慶喜が降伏した後、武揚は旧幕臣らと蝦夷へ向かい、五稜郭を拠点とし、新政府軍を迎え撃つ。武揚は軍艦を率いて果敢に応戦するも、圧倒的な兵力を前に屈服し、戊辰戦争は終結する。最後まで新政府軍と戦い続けた武揚はなぜ、降伏という苦渋の決断を下したのか?
武揚はその後、東京に移送され、収監されるが、1872年に出獄し、明治政府に出仕。蝦夷開拓使となり、北海道の発展に尽力した。さらに、ロシアとの領土問題を解決すべく、特命全権公使に任命された武揚は語学と国際法の知識を駆使し、日本に有利な条件で条約を結ぶことに成功した。1885年には初代内閣総理大臣・伊藤博文のもと、逓信大臣に就任するなど、数々の要職を歴任した榎本武揚の真の評価とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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