ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓「推古天皇・日本史上初の女性天皇が抱えた苦悩と挫折」

日本史上初の女性天皇・推古天皇の敗北を紐解く!自らの血筋を王統に引き継ぐことを目標とし、娘たちを有力な皇位継承候補者に嫁がせるが、実現しなかった理由とは?

8月1日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

飛鳥時代の女帝・推古天皇の敗北から現代に通じる教訓を探る! 推古天皇は欽明天皇の娘・額田部皇女として、554年、当時のヤマト王権の中心地である大和で生まれたと考えられている。18歳で結婚し、夫・敏達天皇との間に二男四女をもうけるが、32歳の時に敏達天皇が崩御。その後、3歳上の叔父・蘇我馬子と共に政権を主導するが、592年、崇峻天皇が暗殺されると、39歳の額田部が推古天皇として即位した。
推古天皇は20歳下の甥・厩戸皇子と馬子と共に仏教を中心とする国づくりに邁進。さらに遣隋使を派遣し、大国・隋から最新の文明や技術、制度を取り入れ、日本という呼称が生まれる前の倭国を形作っていく。推古天皇は自身の血である蘇我氏本家の血統を王統に引き継ぐことを目標とし、娘や孫娘を有力な皇位継承候補者に嫁がせるが、その悲願が達成されることはなかった。 推古天皇はなぜ、自らの血を王統に残せなかったのか?
628年、病に伏した推古天皇は田村皇子と山背大兄王という二人の皇位継承候補者を個々に枕元に呼び寄せ、遺言を告げると、翌日、75歳で崩御した。群臣たちは推古天皇の意向を重んじ、田村皇子が舒明天皇として即位した。倭国と呼ばれた古代日本において、実に36年もの長きにわたり、統治者として君臨した推古天皇の功績とは? 推古天皇の敗北から学ぶ教訓は…「リーダーは個人的な感情を抑制すべし」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。