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ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓「信長の嫡男!織田信忠・本能寺の変で下した決死の決断と運命」
本能寺の変で父・織田信長と共に自刃に追い込まれた嫡男・織田信忠の敗北を紐解く!絶体絶命の危機の中、京都を脱け出すことなく、明智光秀との戦いに臨んだ理由とは?
7月11日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
天下人・織田信長の後継者として期待された織田信忠の敗北から明日を生きるための教訓を探る!
1557年、尾張国に生まれた信忠は父・信長の背を見て育ち、17歳の時、浅井・朝倉軍との合戦で初陣を果たすと、2年後、美濃の岩村城を落とした功績により、信長から織田家の家督と本拠地・岐阜城を譲られる。以来、織田軍団の総大将として、信長の代わりに戦場で陣頭指揮を執り、多くの合戦に勝利し、外交面でも活躍した。
1582年、甲州攻めの総大将を任された信忠は信長の手を借りることなく、見事、宿敵・武田家を滅亡させる。これにより、信忠は次期天下人の座を確約されるが、そのわずか3ヵ月後に本能寺の変が勃発。信長が明智光秀に討たれると、近くに宿泊していた信忠は光秀の大軍を迎え撃つが、力及ばず、自害へと追い込まれてしまった。
信忠は絶体絶命の危機に直面しながら、なぜ京都を脱出することなく、光秀と戦う道を選んだのか?
信忠と信長は屋敷に火を放ち、自害した。そのため、首を掲げることができなかった光秀は周辺勢力を味方に付けることができず、本能寺の変からわずか11日後、羽柴秀吉に屈してしまう。信忠の息子・三法師は織田家の家督継承が承認されるが、織田政権の実権は秀吉に握られてしまう。もし、本能寺の変が起きた時、信忠が逃げ延びていたら、どうなっていたのか?
信忠の敗北から学ぶ教訓は…「窮地に陥った時こそ冷静になれ」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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