ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓「最上義光・御家騒動と改易を招いた長男の廃嫡と暗殺」
伊達政宗の伯父にあたる東北有数の大大名・最上義光の敗北を紐解く!義光はなぜ、自らの後継者と見なしていた長男・最上義康を廃嫡し、死に追いやってしまったのか?
8月22日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
出羽の戦国大名・最上義光の敗北から現代に通じる教訓を探る!
1546年、最上義守の長男として出羽に生まれた義光は29歳で長らく従属していた伊達氏からの独立を果たすと、その後、出羽南部を支配下に置く。ところが、1595年、突然の悲劇に見舞われる。秀吉の甥である関白・豊臣秀次が謀反の疑いをかけられ、切腹すると、秀次の側室になるために上洛したばかりの義光の娘・駒姫が連座し、処刑されてしまったのだ!
1600年、会津の上杉景勝が最上領に侵攻し、「北の関ヶ原」と言われる慶長出羽合戦が勃発。この時の戦功により、義光は関ヶ原の戦いを制した徳川家康から57万石の領有を認められ、初代山形藩主となった。ところが、数年後、義光は最大の過ちを犯してしまう。長男・最上義康を廃嫡し、死に追いやってしまったのだ!これが後の家中対立の引き金となり、最上家は改易されてしまう。
義光はなぜ、長男を廃嫡してしまったのか?
江戸時代に入ると、義光は山形城を拡張、街道の整備や職種ごとの町割りを行い、商工業の発展を促進。また、最上川の治水、灌漑工事を進め、庄内平野が全国屈指の米どころとなる土台を作った。さらに酒田港を整備し、最上川の舟運を通じた交易により多くの富と文化をもたらすなど、山形の発展に力を尽くした義光は1614年、69歳で波瀾の生涯を閉じた。
義光の敗北から学ぶ教訓は…「行き過ぎた忖度は自分の首を絞める」!
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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